いつか役立つかもしれない料理メモ
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
デジカメで撮影した写真をUP。
ボランティアに配られた名札シール。ここに日付と名前を書き込み、作業服に貼って作業を行う。
花畑。
もう一枚花畑。
相方が見つけてくれた記事の魚拓。相方GJ。
携帯の写真と似た構図ではあるが、こちらのほうが作業現場の様子がわかるだろうか。
作業の内容についてはひとつ前の記事を参照願う。
お世話になったお宿はこちら。鳴子温泉。
夕食。素晴らしく美味でした。
デザート。ずんだ餅、白麹のゼリーだったかな。
ここからは石巻の写真。
言葉を並べても伝えきれるものではない気がする。
何かを感じていただけたら嬉しい。
復興はまだまだ終わらない。
ここまで瓦礫を集めるだけでもどれだけの労力が費やされたことか。
そして、まだまだ労力は必要である。
かつて水産加工工場のシンボルマーク的に設置されていた、缶詰型オブジェ。
津波により流された。他にも大型漁船なども陸地に乗りあがっている。
こうしたものの処遇についても、まだ進んでいない話が山のように残っている。
別の場所で撮影した瓦礫の山。
各地に流されていった自動車が集められている現場。
こうして形だけでも残った住宅のほうが稀。
日本家屋は多くが流されたそうだ。
津波被害で跡形もなくなった場所は、あまりにも広い。
偶然発見したのだが、おそらく幼稚園ないし保育園の出席帳であろうノートを発見。
名前もかろうじてではあるが、識別できそうだった。
現地の観光ボランティアの方にお伝えした。関係者の方の手元に届くことを願う。
これらの荒地を片付けずして、復興が収束に向かっているなどとは言えないと思う。
ボランティアの力は、もっと必要であろう。
復興を願うだけでなく、復興の一助となる行動をしていきたいものである。
場所を移動、松島。
この日の昼食をいただいたお店がこちら。
お店全体の写真。
メニュー。
今回いただいたのは五大堂。
店内に貼り出されていた、店主さんの意気込み。
味といい香りといい、素晴らしかった。
なお、相席だったので、実際に鉄板の上で焼かれている牡蠣の数は10個どころではない。
牡蠣飯と牡蠣の味噌汁。焼き牡蠣ともども超んまかった。
遊覧船に搭乗。
運転席。
撮影者の趣味による写真。
わかっているカモメの大群が遊覧船を追いかけてくる。
あんまり近くを飛ばれるもんだから、羽がバサバサ当たる。痛くはないけど。
ガン見されてる。
遊覧船後方も凄いことに。
要領のいいカモメは手すりに乗って落ち着いておねだりしてくる。
で、何をおねだりしているかと申しますと。
かっぱえびせんである。
遊覧船乗り場付近で、カモメのエサとして売られている。
今回はツアーなので、あらかじめ用意していただいていたものを
参加者の皆さんでカモメに餌付けしたのだ。
いや、凄かった。
奇跡の一枚。
斎太郎節にも出てくることで有名な瑞巌寺。
デジカメ写真はここまで。
以下はひとりごと。
ボランティア同士の雑談で出た話題。
「ボランティアって、偽善?」
何を以て偽善と呼ぶかは人それぞれだとは思うが、
私の見解では
「被災地の復興にプラスに作用することをしているボランティアは偽善と呼ぶべきではない」
となる。
例えば、捨てる予定だったような古着や、品質保持期限が切れているような食品を
「はい、支援物資送りましたよ。オレいいことしたなー」
と送りつける、結果誰の役にも立たないどころか、仕分け作業の邪魔になる、
っていうのは、偽善に分類していい気がする。
震災復興募金を騙って集めた金を別の用途に使うっていうのは
偽善云々以前に人の道に悖る。というか詐欺だろそれ。
と思うんだけど、今回のツアーに参加されたボランティアの皆さんとの会話の中で、
ツアー参加型ボランティア、これでいいのか?という疑問は少なからず飛び交った話。
自分は、ツアー参加型ボランティア、それでいい、と思う。
たとえ作業が一日だけでも、一日かける人数分、復興作業は進んでいる。
ホテル宿泊、お土産購入、現地での食事などで、被災地の経済活動は潤沢になる。
現場の様子を参加者が周囲の人々に口コミで伝えることで、現状がよりリアルに伝わる。
そしてそれまで無関心だった人がボランティア活動に興味を持ち、実行に移してくれたらなおいい。
わずかな前進だったとしても、その積み重ねは大きな力になることができる。
時間的余力が無い人はふるさと納税などの方法で。
経済的余力の無い人であっても、作業に参加することはできる。
時間と経済的余裕が両方それなりに持てたら、こういうツアー参加型ボランティアもありだ。
形は何でもいい。マクロ視点で見たらわずかな前進だったとしてもそれでいい。
ただしく被災地のプラスになっている、何か。
そこに向けての頑張りを、偽善呼ばわりするのは、的外れだ。だから気にしなくていいと思う。
やってみたくてやってみた。いいじゃないか。
ボランティアが好きだからやった。いいじゃないか。
東北にまだ行ったことが無かったから、旅行ついでにボランティアに参加した。それでもいいじゃないか。
何ができるかわからないとか、役に立てるか自信が無いとか、気にしなくて大丈夫。
プロの技術と経験が生きることがある作業はあっても(一年前の浦安ボランティアのときのように)、
プロじゃないと何もできないような作業がボランティアに課されるわけではないのだから。
被災地は、まだ皆さんの力を必要としています。
余力があるなら、是非その余力を被災地のために使ってください。
無題
何の見返りもないのにどうしてそんなに人のために尽くせるんだい?
情けは人のためならず
という言葉があります。用法が間違われやすいですが、巡り巡って自分のためになるから人に情けはかけておくものだという意味ですね
私はこの言葉が好きです。
ボランティアをやる人の心理はここから来てるんじゃないかなと思ってます
人に感謝されたい、社会に貢献したい、正義感を感じたい
いろんな下心があると思いますがそれでお互い助け合って生きていけるのならそれでいいと思います
ただ、幸せの押し売りを本人に気づいてもらうのは難しそうですね
さて、写真見せていただきました
まだまだ当時そのまま・・・といった場所が多いんですね
瓦礫の処分ってどうするんでしょうか?
よくテレビでやってるようなゴミ屋敷の掃除なんかの比じゃないくらいのゴミの量ですよね
しかも瓦礫だから燃やしてはい終わりってわけにはいかないし
復興税を復興のための人件費に充てるっていうのもありかなぁって思ってます
そのための雇用も生まれるわけだし
ただ強制的に取られると募金の時とは違っていいことしたなぁ感がないんですよね
それとちゃんと被災地のためにお金を使ってるのか?という疑惑も
今回は陸前高田市ということで話には出ていませんが一番の問題は原発ですよね
これさえなければもっと経済は活性化していたはず
これのせいでいくら東北の宣伝をしても東北のものは買い控えてしまう人は多いはず
これに関しては助けてあげたいけどどうしようもできないと思っている人が多いはず
最後にカモメの写真よく撮れてますよね。大迫力
Re:無題
情けは人の為ならず、正しい方の意味で私も好きな言葉です。
瓦礫処分をどうするかは本来なら国策で考え、雇用を生みながら復興を進めていくものだと思っていました。現政権にそれを期待するかどうか、ちゃんと被災地のためにお金を使ってくれると信用できるかどうかは人それぞれでしょうが、優先順位は適切に考えて欲しいと思います。
原発の問題は複雑ですね。東電だけ責めればいいってもんでもなし、対処を誤った元総理を吊るせば片付く話でもなし。これからどうするかが重要な問題だけに、プロパガンダ的暴言を撒き散らすだけにはならないよう注意が必要だなと思います。主に自戒的意味合いで。
カモメの写真を撮影してくれたのは相方です。私にはよくわかりませんでしたが、何かコツがあるみたいです。ピントをここと決め打ちして固定しておくとかなんとか。